久しぶりにBONNEVILL SPEED WEEKに行ってきました
嫁が長女・次女の出産だった為2年ぶりのボンネビルです!
さよなら関西!!
成田に到着!!
ここからアメリカのサンディエゴまで飛びます
さよなら日本・・・!!
太平洋を横断し!!
アメリカ大陸が見えてきました
サンディエゴ空港に着陸し!
ここでJALとはお別れしアラスカン航空の国内線に乗り継ぎます!!
ここからソルトレイクまで飛びます
さよならサンディエゴ!!
ソルトレイクが見えてきました
ドカーン!!と着陸!!!
空港でレンタカーを借りウェンドーバーに向かいます
付いた頃は真っ暗でサブウェイで夕食を取りモーテル6に向かいます
ボンネビルの知人のミッキー・ゴートンがホテルの1室を抑えていてくれたのでそのい部屋に宿泊します
LAのロードスターチームとモーテルで合流しましたがクタクタに付かれている模様
私も24時間の移動でクタクタなのですぐに寝て次の日の朝ソルトレイクに向かいます
気温は日本で言うと秋のような肌寒い朝ですが昼には日差しが襲い掛かります
入り口で記念撮影を済まして!
コースに向かいます
コースに向かっている途中に地平線から太陽が出てきました
数時間でここは塩砂漠になり下からの照り返しで灼熱地獄になります
開会式です
国歌斉唱し(君が代ではありません)
ピットに向かいます
ロードスターのLAチームはMOONのピットの横が定番です
車検も完了していたので後はコースに並ぶだけです
燃料を補充します
私と純也は友達のミッキーのピットに向かいました
ミッキーのピットはすぐに見つかります
私が2013年、26歳の時に参戦した時に手渡した日の丸の国旗を毎年上げてくれているからです
見慣れたピット
当時は日本人がボンネビルに来る事自体が稀で私と純也が来た2012年の頃は東洋人が居る事自体が新鮮だったみたい・・・・
LAのロードスターチームのSAMさんと出会ったのもその時です
ミッキーはSCTAの官員でその後本土からBONNEVILLに来る日本人を受け入れる為にレギュレーションを教えてくれ車検場の検査官に交渉してくれました
日本人にとってボンネビル・スピードウィークのハードルを大きく下げてくれたと言っても過言ではありません
ミッキーとダンカンの久しぶりの再会です
今年はマシントラブルで思う様に走れなかったみたいですがそれでも必死に整備しています!
気温・湿度・プラグの番手を変更すれば何マイル速度が上がったか!
膨大なデータを持っています
ボンネビルに来て誰もが困るのが燃料と思います!
プラグの焼け色の判断は不可能で幾ら濃いくしても白く焼けてしまうのでボンネビルの常連はデータ・経験を多くもっています!!
そして!!
今年の塩の状態はと言いますと!!!
とてもドライ!!!
ボンネビルってこんな塩になるの???
って思う程ドライです
2013年の時はウエットで雪だるま式にタイヤに塩がこびり付きFフェンダーの隙間に塩が入り押すだけでもとてもマシンが重くなりました
聞くとこんな塩は例年にないぐらい良い状態らしい
この塩の状態なら高タイムが狙えます
この日の朝食はテリーが作ってくれました
テリーは料理がとても上手で外食するよりも楽しみだったのです
ジャガイモとカリカリベーコンと目玉焼き
しっかり食べて情報収取に向かいます
LAのロードスターチームのドライバーは宮城光さん!!
今回ロードスターはサムさんと光さん二人がハンドルを握ります
このロードスターで大きな情報を得る事が出来ました
バンパーに付いている黒いカバー!!!
最初はラジエターを冷やす為(牽引中に取り付けステーが破損したのもある)カバーは付いていなかったのですが2日目に付ける事になったのです!!
と言うのも宮城さんが走行し150マイル台から160マイル台に平均速度をいきなり上げ
「おおっ!!」とピットがざわついたのですがクランクケースの内圧が異常なほど高くなり圧入されているオイルの注ぎ口がクランクケースから外れると言う通常では考えられないトラブルが発生!!
長崎県から来ている入江さんと私の二人で修理し対策したのですが漏れたオイルを見るとボンネットの裏までオイルが回っているのです
乱気流が発生している事に気付きバンパーにカバーを取り付けるとなんと170マイル台に平均速度を上げました
サムさん、宮城さん共に170マイル台に平均速度を上げたので確実に空気抵抗があった事になります!!!
2012年の時ミッキーが言っていた事は本当だった・・・・・
「ボンネビルはエンジンじゃない!空気抵抗だ!」
ミッキーは装着するグローブまで抵抗がなくなる様に考えてしました!
言われながらも「ウエイト&エンジンのパワー論」を信じていた私は間違えていた事がこのロードスターで証明された事になります。
いや・・・・
頭の片隅では分かっていたのですがここまで変わるとは思いませんでした
ボンネビルの常連は空気抵抗を無くす為に様々な工夫をしています!
今年も色々な車両が来ていましたので紹介します
ストリームライナー
2年前炎上し死亡事故が発生しているので危険です
これもストリームライナー
ここからは写真を紹介します
このCB750のエンジン二機積みはアメリカでバイクショップ(ハーレー)を経営しれている
キヨナガさんの車両
去年は宮城光さんがライダーで参戦されていたらしい
これはGPZ750ターボ!
少し写真を撮っただけでも紹介しきれないのですがそんな中見たのが!
カワサキ重工のチーム38!!
来てたの??
と思ったのですが以前は塩のコンディションが悪かったので今年レコードを新たに作りにきてたみたい
ライダーは山下さん
カワサキ重工は1967年に2ストのA1Rでボンネビルに来ていたらしくここでH2で参戦しレコードを作ると51年ぶりにメーカーとしてボンネビルでのレコードを作ることになります!!!
チーム38が出来たのが1975年なので遠い昔にカワサキ重工がボンネビルに来ていた事になります!
1967年の頃のボンネビルはコースを走り往復していた時代!
今のボンネビルは片道走行でレコードを伸ばすとインパウンドに入り多くが翌日の朝にもう一度走りその記録を足して2で割った数字がレコードになります!!
往復の場合次に走るチームが待機していてそこに突っ込む事になるので危険なので今は廃止されています。
次の日風が強く思う様に走れなければ大幅に記録が下がりレコードを更新できないので運も味方に付けなくてはいけません
ここで今年出した記録が337キロだったとの事!!
もはや狂ってますね
ここで走るとやく20パーセント程速度が落ちるので日本の平地なら何キロ出んの???って思ってしまう
どれどれ!!?と、調べてみるとOPENなのでここのカテゴリー(P-PG)事態今まであったのかもしれませんが今回の記録が新レコードの1ページとなります
ここにライバルが来ても多分抜けないと思う・・・・
この塩のコンディションになるのは数十年に一度・・・・
神風が後ろから吹いても難しいだろうな・・・・
今年初めて知り合った!
万治(株式会社BAN-ZI)さんと宮城さんと市議会議員の山本さんと食事をしました
万治さんはとある塗料メーカーの社長!
宮城さんはオートバイ業界の大先輩と言う事もあり色々とアドバイスを頂きました
本当なら今年私ボンネビルに車両を持ち込む予定でしたが日本は子育てするには大変な国です・・・・
思う様に資金が溜まらず延期してしまった・・・・
何度も釘を打たれて言われたのが「金と女には気を付けなさい」
職種関係なくこれはお客様の社長からも良く言われる・・・・笑
今後の日本のオートバイ業界を考えるとなかなか資金に困る現実がありますが私は必ずボンネビルに再挑戦します!!!
2012年以来の親友のミッキー・テリー夫婦とエンジニアのダンカンと
ジョニー・エイドリアン夫婦とも食事をしました!
今年来てもっとも驚いたのが・・・
ジョニーにガンが見つかり背骨にまでガンが進行し抗がん剤治療をしながら今年のボンネビルに挑んでいました!
2012年初めて来た時日本人で右も左も分からない私に色々とアドバイスをくれてボンネビルの常連で冗談を言って笑ってとても元気だったジョニーはとても痩せていた事にショックでした。
それでもボンネビルに挑む精神力!!
早くこの地に戻りたい一心で日本でエンジンを制作中です!
500ccエンジン2機積みのゼファー1000を再作中ですが資金不足・・・・
また、ここのカテゴリーは182マイルがレコード・・・・・
車両は制作出来てもカリフォルニア州のロングビーチからユタ州にまで行くルートで莫大な金額が必要になるのでカテゴリーを変更し耐久試験をしながら4機目のエンジンを制作中
750のクラスか1000のクラスか650のクラスか・・・・
400エンジンをボアアップしても中途半端な排気量になりしっくりくるカテゴリーがない・・・・・
制作してもボンネビルで満足に走れる耐久性を確保できない・・・・
アメリカ人は燃料のデーターが豊富にあるのでキャブセッティングで走る本数を減らせますが日本人が本土から行く場合ショートコースでキャブセッティングから始まるのでその分走る為エンジンに余力が必要。
しかしここ数年レコード更新の為SSのカウルを外し挑戦する人が増えたのでドンドンハードルが上がっています
でもゼファーエンジンで行きます
4度目の正直ってやつで次のエンジンに集中して制作してます