2011年私はその頃24歳日本に大震災が襲いかかった年でした。
皆様おわかりだと思いますがあの頃日本は大混乱になり仕事や家に困り路頭に迷う人が多すぎました。
しばらくし報道が落ち着き「私に何が出来るか?」と考えると無力で情けなかった。
人はいつ死んでもおかしくない。
今を全力で生きるなら・・私が命をかけるなら・・・アメリカのボンネビルが頭を過ぎりました。
その頃の口座には30万円。全く資金が足りない。
それから365日休まず働き売れる物は全て売り払い2013年に目標を定めました。それでも資金がなくボンネビルに到着した頃にはボロボロのショート寸前。
一人の町工場で車両制作、海洋運搬、アメリカ大陸運搬はかなり資金的に過酷でした。
ただ私の心を支えた言葉があります。
「日本の男は負け戦と分かっていても行かなきゃいけない時がある!死んでも前進全速!」
私でもボンネビルの舞台に立てる!
東北の人達の無念さは計り知れないですが希望を持って欲しい。
迎え撃つ相手の車両はCBR1000…..
時代の最先端の車両に古い70年代の化石のカワサキでの勝負です。
レース、一日目。
ルーキーズミーティングを受けて「120マイル以上140マイル以下で走れ!」
スピードメーターはありませんがセカンドギアで楽勝!
初回はもの凄い横風に煽られながらも124マイルでルーキーズ卒業です!
問題は二日目。
前日の夕方に雨が降り塩がウェットでした。
発進直後エンジンがフケ上がらない!!!
走行後慌ててプラグを外すと一本プラグが異常燃焼していました。
キャブの周りに塩が飛び散ってる。
塩を少し吸い込んだみたいでバルブのトラブルでしたが大幅なパワーダウンはありませんでした。
二日目は全くダメでキャブセッティングにてこずり次の日に備えることに。
レース三日目。
三日目になるとエンジントラブルでリタイアする人が多く人数が減ってきます。午前中にキャブセッティングをやり直し朝にスタート。昼に二本目スタート。
午前中と午後で大幅にキャブセッティングが変わる・・・
燃料も合ってない様で燃料の変更、Rスプロケの変更、キャブセッティングの変更をし次の日のレースに備えました。メインジェットは日本とは大幅に変わり(予想以上に)もってきたメインジェットでは追いつかない。
標高が高くタバコをくわえないと自然と火が消える。ロサンゼルスで買ったカップうどんは膨張し破裂しそうになっていました。
荒技ですがメインジェットをドリルで拡張。
燃料は110と言う紫色の燃料に変更。
レース四日目
大幅にスピードが伸びました!サードギアで147マイル。
日本の高速道路ではこんなスピードは当たり前ですがボンネビルでは全くスピードが出ない。
エンジンのパワーを上げても後輪が空転しスピードがのってこない。
スイングアームには鉛が詰め込んでありますがエンジンが重い為重心が前方に偏っている。
200キロオーバーで後輪が空転するのです。
日本にいた頃はボンネビルをナメていました。
しかしキャブセッティングのコツを掴み始め「さーこれから!」と言う時に大きな問題が発生。
走行後セーフティーゾンで待機。
後ろからピックアップカーの純也が駆けつけ異常に気づきました。
「オイルが吹き出しとる!」レーシングスタンドをかけ後ろに回り込むとブリザーホースからオイルが吹き出してました。
ピストンの棚おちです。
慌ててピッドに戻り決断を迫られました。
スペアのピストンに交換するか次の日死ぬ覚悟でギャンブル走行するか。
その日が四日目な為今からエンジン開けても間に合わない・・・間に合っても満足に直せるか分からない。五日目のギャンブル走行に賭けました。
その日の夜は恐怖で気分が悪くなり吐き気がしてあまり眠れませんでした。明日死ぬかもしれない。
高速走行中エンジンがロックしてもボンネビルのデコボコの地面で走行中クラッチを切るのは不可能。
ロックしたら吹き飛ぶ。
エンジンのアイドリングは安定しています。
空ぶかしなら吹ける。
でも走行する直線距離は加速地点も合わせ4マイル全開・・・
レース五日目。
恐怖の中スタート地点に立ちました。
遺書は日本の知人に渡している。もー思い残すことはない!と自分に言い聞かせスタート!
しかし加速地点で全くフケ上がらなくなり失速・・・
やむ終えずセーフティーゾンへ。
2013年!今年のボンネビルはこれで終わりました。
満足にスピードが出せなくとても悔しい結果に終わりました。
日本よりもっとスピード出せてキャブセッティングにもてこずらない。
その自信過剰な私の甘さが敗因の原因。
過去の日本人で日本の本土からSCTAのボンネビルに挑戦したのは95年のDR須田社長のチームのみでした。しかもワールドファイルで10月のレースでした。
当時のルールは大きく変わり8月のスピードウィークの情報不足と資金不足と私の経験の未熟さが課題です。
またボンネビル・スピードウィークに挑戦するか?ですが勿論その予定です。
今回のレースでの反省点を埋め条件が整えば古い2バルブのカワサキで世界記録も夢ではないと思うからです。
日本に帰国後すぐに交通事故にあい日本で死にかけたわけですが入院中、東北の人からメールを頂きました。
「ボンネビル参戦。最初は無理だろうと思っていましたが実際に行かれたとのことで勇気を貰いました。津波に全て飲み込まれ絶望の日々でしたが桑田さんの挑戦を見て職種は違いますが一からまた出来る!と思える様になりました!有り難う御座いました!」
この言葉は入院生活の中でとても励みになり私の今後の活力になりそうです。笑
私の考えですが東北の人に口で「大変でしたね?」「大丈夫ですか?」と言うのは簡単だと思います。
誰でも出来ます。
周りに何と言われても、実行して欲しいと思います。
日本人の男性の生き様は外国人から見ると理解できないのかもしれませんが。
家族であったり?プライドであったり?
守るのもがあれば全力で立ち向かうべきと思います。
私達日本人のよく言う言葉「もう歳やから」そんなこと言わず私は何歳になっても夢や目標に挑戦して行きたいと思います。
今を全力で生きて行きたいと思います。