いつもZ400FXやゼファーのエンジンのブログばかりなので気分転換のブログです。
帰国後交通事故で入院して復帰後、仕事のボアアップのオンパレードだったので去年の8月を紹介します!
5月以降までボアアップの仕事だけで予約がいっぱいなので一日も休めません・・・
部品待ちの時間が出来たので去年の8月を紹介します。
私と通訳の純也は日本を出国しロサンゼルスに降り立ちました!
ロサンゼルスの空港ではアメリカから取材に来て下さったサムさんが迎えに来てくださいました。
空港近くのハンバーガーをご馳走になりLAのダウンタウンにある倉庫にFXをとりにいきました
これがロサンゼルスで借りたレンタカーです!
ってか車高が超高い。。。。。
まっ・・・マジか・・・・
私のZ400FX改930はとても重く車高も低い・・・・
無理やり積み込みました。
サムさんの自宅へ向かいます
久しぶりの左ハンドル右側斜線
LAの高速道路です
サムさんのベランダからの夜景!
姫路市より大きいですね
時差ぼけを治す為早目に寝ました
次の日FXのエンジンに火をいれます!
騒音の問題で港に来ました
Z400FXがアメリカに・・・・
不思議な光景です・・・・
車の中にシートを張ります
レンタカーでボンネビルに行ったのがばれると追加料金が来るからです!
これで大丈夫でしょう!!
ロサンゼルスの町を走っているとZ1000Pが自宅前で販売されています!
こんな光景LAでよく見かけます
日本では高額ですがLAでは20万ぐらい・・・・安い!
安い巨大ホットドッグを食べアメリカのバイクショップを探索です!
このホコリのかぶった感じ!
やる気の無さを感じます!
レトロなバイク屋さんで味があっていいですね
売る気ないけど
サムさんの自宅にFXを降ろしました!
この頃はFXでアメリカの公道を爆走したい気分でしたが私が警察に捕まると皆に迷惑がかかります!
日本の警察は遅いですがアメリカの警察は怒ると何するか分からないですしね・・・
このレンタカーにも名前をつけてやらないと
名前は・・・よどマグナムです!
ここはどこでしょう・・・・!
じつはサムさんのお友達のトムさんの職場です
大きくて綺麗な職場!私の工場とは全然違います!
気持ちいい!こんな職場で仕事すると気持ちいいんでしょうね!
何度見てもアメリカのスーパーは見慣れません!
ここ数年アメリカと日本を行ったり来たりですが・・・・
LAで機材・OIL・消火器・などの必要物資を買い揃えカリフォルニア・ネバダ・ユタ州を走ります!
この移動に二日です!
砂漠を走るのですが灼熱地獄・・・
でもここよりボンネビルのほーが暑いです!
ラスベガスの途中のプリムと言う町で休憩ですがここも標高が高いみたいです。
やっとラスベガスに到着です!
ここで一泊します!
ホテルが格安!!
日本円で1900円ぐらいだったかな?
カジノの町なので宿泊費を安くしてもカジノで潤うのです!
姫路市より派手な町です。。。。
夜のラスベガスを探検です。
ここは水が高い!・・・コーラのほーが安いのです。
大阪の通天閣のまがい物を発見!!
もちろんカジノはせず探検だけしてホテルで寝ます・・・・
格安なのですが・・・シャワールームは毛だらけ・・・・
気味悪いですが安いので文句は言えません。
次の日の朝出発です!
また広大な砂漠をつっきります!!
とんでもないところに来てしまった。。。ソルトレイクの空港からボンネビルまでも遠く感じましたが。。。。
桁外れの遠いさ。風景が変わらずひたすら一本道を走ります!
ここで休憩中去年友達になったキャッシーに偶然出会いました!
「ほんとに日本から来たの?」と驚いてました
久しぶりの再会!女性ライダーでSCTAの組合員でもあります!
そしてまた爆走・・・・
FXで走りたい・・・・
やっとです!やっとウェンドーバーに到着です!
モーテル6に向かいます!
到着すると去年友達になったミッキーとテリーに再会しました!!
一年ぶりの再会!
抱き合いました!
早速「貴彦のオートバイを見てやる」!
ミッキーもSCTAの組合員で車検の検査官!!
ここがダメだ!これも取り外せ!ツナギもこれを取り外せと手直しに走り回りました!
サムさん・トムさん・カメラマンのケンタロウ君と純也と私でキャンプの準備をします!
映画の「世界最速のインディアン」でも出てきた看板です!
次の日の朝スピードウィークの車検が始まります!
朝はや起きし列に並びます。
朝のボンネビルは不気味な世界です。
真っ青な地面にオレンジの朝日
ゲートがオープンしピッドの場所取り合戦です!
トイレが近く、車検場から適度な距離がある場所!
早速車両を下ろします!
やっとここまできた。。。。
独立して総合二輪工作所を立ち上げ二年・・・ここに来る為に資金と時間がかなりかかりましたが。
でもまだ気は抜けません!!
この車両は姫路の一般公道を走しっている車両。
なのでナンバーも付いてます!
勿論車検もあります!
検査官が「これは日本の公道を走っているの?」と驚いてました。
ですが車検に引っかかり外すことに・・・
ミッキーに言われた箇所の手直しをします!
車検のときに言われたこと、ボンネビル特有のレギュレーションをログブックに書き込みます!
燃料を補充!
フォミュラーと言う無色透明な燃料でしたがのちに110に変更しました。
ミッキーのピッドの横が私達のピッドです!
ついにこの場所に日の丸が上がりました!!
唯一の東洋の国旗!!
ロサンゼルスのバイク屋さんの木村さんとも1年ぶりの再会です!
ブラッドピットのハーレーを製作されたので有名な人です!
車検に合格しレースに備えます。
クシタニのツナギが車検に合格せずテリーとエイドリアンの二人がワイヤリング用のワイヤーで縫い合わせてくれました。
出国前にあれだけクシタニに忠告していたのに・・・・
危うくレースがぽしゃるとこでした!
LAで買ったうどんが破裂しそう・・・ボンネビルはこれだけ標高が高いのです。
出国前にエンジンの特性を大幅に変更しました。
これが後から大きな敗因をうむ原因になりました。
コンプレッション18キロでハイリフトカムの併用だったのを13キロまで落としました。
この化石のFXで最新のスーパースポーツに勝つには潰れる寸前の一発エンジンでないといけない。
距離が距離なのでエンジンの圧縮を落とすことによりエンジンの耐久性を少し上げることを選択しました。
それは広大な塩砂漠の全長を走れるか。
これは博打の選択だったのです。
ただ酸素が薄く燃料も日本とは全然違いセッティングの為に何本も走ることになりエンジンを消耗していきました。
普段お客様に作るエンジンは壊れないエンジンが絶対条件!
しかしこのエンジンは安全マージンを取り除いたエンジン。
5本走ることができればいいだろう。。。。と言う感覚だったのです。
ルーキズからなので消化試合をするのも想定でした。
大幅に狂ったキャブセッティングを保全する為に拡張したメインジェット。
高圧縮にしていれば一発エンジンでもここまですることはなかったでしょう
ついに4日目にエンジンブロー。
この時はスペアのピストン・スリーブを交換するか迫られ慌てていた時です
砂漠のど真ん中で限られた工具での決断だったのです。
この時の時間は4日目の午後・・・・
バーベキュー用のコンロでスリーブを抜き交換し面研しホーニング・・・・それを1日で・・・・
約3時間悩み次の日のギャンブル走行の決断をしたのです。
ギャンブル走行前は必死に塩を掻き落としました!
1グラムでも軽く・フェンダー裏の塩もタイヤとこすれ大きな抵抗になります。
次の日加速地点でエンジンが力尽きたのですが・・・・
純也。。。とても頑張ってくれました。
この灼熱地獄、ラダーレールを持つだけでも全身から汗が噴出します。
オートバイの知識も運転もしたことないけど。
時差ぼけで疲れた身体で本当に頑張ってくれた。
日本でレーシングスタンドをかける練習からでした
2012年に二人で来た時は来年この場所に参戦するぞと気合を入れたのを思い出してました。
この場所に来て出会った人も本当に感謝しています。
サムさんは日本まで取材に来てくださり家にも泊めて下さり。
トムさんも難しい英語を通訳して下さり。
サカタさんはTシャツを作って下さりました。
サカタさんは最後のギャンブル走行の日の為にLAからボンネビルまでぶっ通しでかけつけてくださりました!
生還して撮った写真です
東京から応援に来て下さった中川さん千春さん有り難うございました!
実はレース中、取材に来ていたカメラマンのケンタロウ君に娘が産まれました
LAまで純也と私でノンストップで「よどマグナム」で走りました!
ウェンドーバーの唯一の日本人の麻倫さんから差し入れをいただいたお寿司!
アメリカ食でクタクタだったので美味しく頂きました!
本当に有り難うございます!
ついにこの町ともお別れです!
ボンネビルの参戦は工場の経営を大幅に圧迫しましたが何とかなります!
18世紀に初めてこの地を探検したフランス陸軍の将校によりボンネビルと命名されました。
スピードウィークは歴史が古く公式に始まったのは65年前からですが非公式なレースは100年以上前からあります。
スピードに挑戦すべく現れた名も分からない人物は1911年、自身の操るスチュードベイカーを操り約50マイルを叩き出したのです。
当時はもっとも危険な冒険と言われ毎年多くの人物の命を奪っていった場所です。
唯一お国柄の事情でスピードウィークは一次中止されたと記録にあります。
私達日本人が始めた太平洋戦争です。
戦後1949年にまたレースは開始されその時開催したレースが事実上現在にいたるボンネビルです。
本当にいい時代に産まれていい環境ですね!
アメリカ人は日本人の私達を暖かく迎えてくれ協力してくれました。